原晋(青山学院の監督)は、箱根駅伝とは無縁の敏腕営業マンだった!

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青山学院 駅伝の原晋監督と営業マンについて

箱根駅伝(第91回)の優勝校「青山学院大学」

このチームの監督「原晋」監督は注目を集めている。

10年で郵送チームを作りあげた原晋監督は、
元敏腕営業マンだった経歴をもています。

そんな彼について徹底調査してみました。

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青山学院監督前の原晋と営業マン

・原 晋(はら すすむ)
・1967年3月8日生まれ
・広島県三原市出身

原晋監督自身の陸上経歴は
中学から陸上を始める。

高校は世羅高校で3年の時は主将を務め、全国高校駅伝で2になる。

大学は中京大学で、日本インカレ5000メートル3位。

卒業後は中国電力に入社し、中国電力陸上部に所属。
ちなみに原晋監督は、中国電力陸上部の部創立メンバーです。
戦績は、1993年に主将として全日本実業団駅伝初出場を果たす。

1995年に右足首故障により、陸上から引退し同社の営業マンとなる。

営業マン「原晋」

陸上引退後の世間の悪い噂
「原は駄目だ」を見返してやるために営業マンとして頑張ったそうです。

省エネ空調機の営業マンとして
昼夜なく飛び回り、社内でトップの成績を挙げるほぼの結果を残しています。

この会社員としての経験・実績から物事の進め方、準備の大切さを学んだそうです。

青山学院 駅伝監督の原晋の経歴

2004年に青山学院の監督なる。

きっかけは
母校・世羅高の関係者との縁からです。

十分な成績をだしている営業マンをやめての監督業なので、周りの人は大反対をしたそうです。

このとき原晋監督は、
「10年後に優勝できるチームにする」
と大学側に公示したそうです。

そういう意味では
監督就任から11年目での優勝。
原監督的には、計画通りにチームつくりが進んだのでしょう。

これも、敏腕営業マンの読み・実行力の賜物なのかもしれません。

座右の銘は
「人間万事塞翁(さいおう)が馬」

意味は、人生における幸不幸は予測できない。いつ幸せが不幸になるか…不幸が幸せになるか…いつなにが起きるかかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではない。

指導の信念は
「人間として、男として自立させること」

青山学院の原監督は、翌日のメディア出演で
「今年は優勝するつもりではなかった。来年の優勝するともりだった」

と、うっかり発言しています。

ということは、

来年の青山学園はさらに強いってことですよね。

しばらく
箱根駅伝の主役は「青山学院大学」かもしれませんね。

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